村の歴史

新しき村は、武者小路実篤が提唱した「人間らしく生きる」「自己を生かす」社会の実現を目指して、1918年(大正7年)、宮崎県児湯郡木城村に誕生した。
初期の入村者は15人、早速彼らの手によって、村民の住むための家作り、畑作りが始まった。実篤がその著書に新しき村の活動を著わし、また講演などで全国に紹介したことで、大きな反響を呼び、各地に新しき村の支部が作られた。中国からも周作人などが村を訪れ、彼はさらに自らを「新しき村北京支部」と称し、この運動に対する支持を表した。


村に至る船着き場
村に至る船着き場

開墾中の日向の村
開墾中の日向の村


木城村のこの地は、高い山々に挟まれ、三方を川で囲まれた土地であったため、外部との行き来は舟に頼っていた。約20年後、その地形のゆえに、この地に発電所が建設されることとなり、村の土地の半分がダムの中に沈むことになった。
1939年(昭和14年)、埼玉県毛呂山町に新たな土地4000坪を得て、「東の村」として再出発することになり、宮崎県の村は、残った土地に2家族が住み、「日向新しき村」として現在もその活動を続けている。
「東の村」の建設は、新しき村東京支部との協力のもと進められた。井戸が掘られ、住居が増えるに従って入村者も徐々に増えた。最初は自活を目的に米、麦、野菜を作り、乳牛も育てられた。


東の村を訪れた武者小路実篤夫妻
東の村を訪れた武者小路実篤夫妻

新しき村創立38周年
新しき村創立38周年


1948年(昭和23年)には、村は財団法人化され、「新しき村通信」が、東京支部によって復活した。また、第一回新しき村美術展が、上野美術館で開催された。
1968年(昭和43年)、村で誕生した子供たちのために幼稚園が設けられ、村外会員から寄付された、廃車となった都電の車両が最初の園舎として使われた。
1976年(昭和51年)武者小路実篤が死去。しかしその後も、村の生産活動、絵画や陶芸また毛呂山町主催のマラソンなどに参加するなど、多彩な活動が行われた。
現在は村内生活者も少なくなり、また老齢化しているが、稲作、鶏卵、シイタケを中心に生産活動は続いている。
さらに、現在村内に大規模な太陽光発電のパネルが設置されている。


毛呂山町の「東の村」では、毎年の恒例行事として、4月には「花の会」、8月の「労働祭」、9月には「創立記念祭」がおこなわれ、村内の会員だけでなく、村外会員、さらに近隣の人たちによってバザーや演芸会が催される。また、村外会員によって、「蛍を見る会」「芋煮会」なども行われる。